ササユリ
もう時効もとうに過ぎたことなので書くのですが、鈴鹿の山中でササユリを盗掘したことがあります。鈴鹿のどの山だったかまでは覚えていない。
ササユリは山の会のメンバーから綺麗で香りが良くそして希少な百合だと教えてもらったことで関心をもった花だった。
たまたま山中で開花後の一本のササユリを見つけた僕は罪の意識もなく掘り出し袋に入れて持ち帰った。家の庭に移植してみようと思ったのだ。
ザックに入れて持ち帰ったササユリはすぐに当時住んでいた寮の庭の桜の下に植えかえた。
ササユリの開花は初夏。翌年、百合は芽さえ出てこなかった。
土質などの環境が生息地のものと違うので球根がダメになったのかと諦めていたが、次の年の初夏にあの柔らかい質感の笹のような細長い葉をつけた茎が伸び、まもなく一輪の淡いピンクの花が咲いた。
清楚という言葉が浮かぶ気品のある花で、畑の隣の桜下にはなんとなく場違いな印象も抱いたものだった。
庭のササユリはその翌年も咲いた。
しかし、それが最後だった。 あれからもう30年以上経っている。
滋賀県内外のあちこちの山を登ってきたがササユリとの出会いはそう多くはない。たまたま開花時期の登山が少なかったのかもしれないが、希少な花だということが要因なのも確かなことであろう。
ところがそんな希少なササユリがほんの身近かな山中に何本も咲いているのに出会ったのです。それも二箇所、去年と今年のこと。
去年は、最近食べられる山の土があるということで話題になった鏡山という山で、麓の貯水池沿いの笹の中に何輪も咲いていた。
今年は自宅から30分ほど歩いて入ったいつもよく行く自然公園内の川沿いの笹原に5輪。
それらはかつて見てきたものよりピンクの濃いものだったが、笹の中で頭を出しながらも控えめに自己主張する気品と香りは庭のあのササユリを思い出させるに十分なものだった。
しかし、それらを見ているとかすかな罪悪感が呼び起こるようでもあり微妙な心情に陥ってしまいました。
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