hiroshi63のブログ

山と妄想あそび

タマムシ





数年前の8月だった、散歩でよく出かけていた自然公園の欅の下で数枚のタマムシの羽根を見つけた。メタリックな光沢の羽は下草の隙間で光っていた。


羽根は全体的には緑色だが黒や黄などが混ざるもので見る角度を変えるとブルーになる。玉虫色と言うだけにその色彩はなんとも曖昧でハッキリと断定できない。


物事の裁定では「玉虫色の決着」などとあまりいい意味合いでは使われないことが多いが、実際の羽は光の加減や見る角度によって色合いが変わるどっちつかずの色味が逆に魅力になっているように思う。
  


羽根を手にした僕は捨てるには惜しくポケットにしまい持ち帰った。
玉虫厨子とは言わぬが、何か作れるかもしれない。それがきっかけでその後、タマムシの羽根の収集を続けることに。


何度かの収集ののち羽根のほとんどは欅の下で見つかり、タマムシは欅に集まる虫だということがわかってきた。公園には植樹された50年ものの欅の大木があちこちにあり、散歩のたびにその下を目を皿にして探して回った。一回の散歩で10枚あまり拾える時もあった。羽根の多くは身体から切り離された状態で落ちていることが多く、近くに転がっている胴体の損傷具合を観るに鳥の襲撃によるもののようだった。


しかし、8月の末から9月に入ると損傷のない完全体が落ちていることが多くなってきた。時には生きたものが木の幹にとまっていることも。ただしそれらの動作は緩慢であり寿命を迎えていることは明確であった。そういう生きた個体は天寿の完うのためそっとしておいた。



さらに調べてみると、タマムシは欅に産卵することがわかった。弱った木や腐った木に産卵するという。樹齢50年の欅は老木になるのかどうかは知らないが樹上に枯れた枝がある木が多いのを見るにそうなのであろう。ケヤキの樹上はオスとメスの出会いの場であり産卵の場なのだ。




さて、週2~3回の散歩で集めた羽根は入れ物の桐箱の中にすでに数百枚。もう創作に取り掛かっても良い十分な数となっている。小物入れか何かの木箱に貼り付けて漆で仕上げて見てはどうか、ペンダントのようなものはどうか、とか考えるのだがどうも気持ちが定まらない。


グダグダ思い悩んでいるうちに一年以上が経った頃、とりあえず板に貼り付けて置き物を試作してみようと木の板、ハサミ、ピンセット、樹脂などを購入した。しかし、羽根をそのまま使うかそれとも切って貼る方が良いか、どういう並べ方にするか 、なかなか考えが定まらない。そして数ヶ月。未だ製作には踏み込めずにいる。


思案ばかりで、要するに気の起こりが生じないのだ。創作に取り掛からねばと考えた時点でその考えの裏で葛藤があったのだ。元来細かい手作業は嫌いなのだ。


手先は決して不器用ではない。どちらかというと器用なほうだと思う。しかし、細かく神経を使う細かな作業はめんどくさく感じることが多く苛立ちさえも覚える。性に合わないのだ。


性に合わないことがわかりながらやろうとしていたのだから行動に移れなかったのは当然といえば当然である。仕事でもないのだから尚更。しかし、たっぷりとあるタマムシの羽根が気になって仕方がない。どうしたものか、ああ、悩ましい!  そのような状況が続いている。



近頃は、創作に取り組むのはさらに老いて山野歩きさえもままならぬ時までおいておこうか、と考えもする。



さしあたりこのタマムシの羽根の強迫から逃れるには箱ごと押入れの中にしまうのがよいか、との結論に至った。