hiroshi63のブログ

山と妄想あそび

綿菓子


秋口の里山を歩く時の必携道具に木の枝がある。1メートル前後の長さでやや弓なりになっている方がよい。用途は蜘蛛の巣払いだ。


この時期の山道はまさにトラップだらけである。人通りの少ない道や朝一番の通行はこのトラップの餌食になりやすい。それらの高さは道の両側の草木の張り出し方によってまちまちではあるが、顔面直撃の高さにあることがしばしばである。そこで、その木の枝が欠かせない。


蜘蛛の巣が顔に絡みつくのは不快極まりない。というより恐怖でさえある。


蜘蛛は大の苦手な生き物だ。蜘蛛の巣は朝露などに濡れているときれいな造形物なのだが、蜘蛛本体となると見るのも嫌である。


この時期の山道で遭遇するものは黄色と黒が複雑な縞模様になっているものが多く、それは凝視できない。しっかりと見たならば嘔吐しかねないだろう。今こうして文章を書いているだけで気分が悪くなる。それ自体が顔などにくっつけば卒倒ものだろう。


ちなみに、この時期の巣には大きな蜘蛛のほかにそれよりも二まわりも三まわりも小さなものが巣の端にいることが多い。おそらく大きいのがメスで小さいのがオスなのだろう。秋口が繁殖期なのかもしれない。


時に小さなものが二匹いることもある。この蜘蛛の種類は多夫一妻制なのだろうか。それとも1匹は隙あらばメスをものにしようとする間男なのかもしれない。生き物界のオスは大変である。自身の遺伝子を残すためには時に卑怯な作戦をとらねばならないことや、相手のメスに食われる危険を覚悟のうえ事に挑まねばならない者たちもいる。男のプライドなどかなぐり捨てなければことの成就は叶わない。
そもそも虫や蜘蛛にはプライドなどというものはないだろうけど。


さて、蜘蛛の巣払いのための木の枝であるが、扱い方にちょっとしたコツがある。もちろん太い方の端を持つのだが、強くは握らない。枝が手の中で回転するように軽めに握る。そして顔の正面でぐるぐる回しながら前進する。枝の回転の速度に合わせて歩くスピードを調節しながら歩く。これで蜘蛛の巣の害は被らない。


時間をかけて張り巡らされた匠の技の結晶を破壊して回ることに悪いとは感じながらも、恐怖のない山歩きのためには仕方がないと割り切る。こうして僕は秋の山を楽しんでいる。


そして、木の枝はその用途を終える頃、綿菓子になっているのである。