hiroshi63のブログ

山と妄想あそび

3年前の大雪山

 


 大雪の御鉢平を訪れるのはおよそ40年ぶりになる。大学生の時、友人と北海道をバイクでツーリングした時に立ち寄って以来である。9月の中旬なのに、大雪では赤すぎるほど赤い紅葉のすごみに驚き、そして山の大きさに驚いた。


 2人の体力は余るほどあった。黒岳の登り下りにはロープウエイを使ったものの、御鉢平は駆けるように一周したものだ。しかし、あとで知ったことだが、すり鉢のルートから少し外れて南下すると北海道の最高峰である旭岳があったのだ。それをスルーしてしまっていたのである。後年、山登りをするようになってからそのことが悔やまれた。いつか旭岳を登ってみたい。また、できればまた御鉢平を眺めてみたいという願望があった。


 6月の末、黒岳の登山道にはまだ残雪がたっぷりとあった。ガスの立ち込める山頂に落胆しながら石室に下ってパンとコーヒーで昼食をとった。石室の管理人のおじさん曰く、朝早いうちはすっきりと晴れていたのでもう少しすれば開けるかもしれない、と。とても人のよさそうなおじさん(こちらもおじさんとおばさんなのだが)の言葉に希望が立ち起こり、御鉢平の展望台に向かって歩き始めた。


 すると、ものの10分も歩かないうちに前方のガスが晴れ、眼前に白と緑のコントラストが美しい巨大な北鎮岳が現れた。思わず「晴れた!」と声を上げ、前のめりに駆け出していた。すぐ横を歩いていた妻も駆けだしていた。


 2人の同期した反応もそうだが、人はこうした時何故走り出すのだろうと考えるとおかしくなった。大景観を目にした時の嬉々とした心理が起こす反射的な「からだ」の反応なのだろう。それも若者ならいざ知らず、いい年をしたおじさんとおばさんがである。充分に老化した新皮質の下にはまだまだ反応性の良い旧脳が保たれていたことに感心した次第である。


 北鎮岳は、2人が走ろうが止まろうがそんなことには関係なくどっしりと座し、姿を隠すことはなかった。しかし、ガスだまりとなったお鉢の底は30分も粘ったのに晴れることはなかった。その代わり引き返す道々気落ちした2人をシマリスが慰めてくれるのであった。


 旭岳は日を改めて、これもロープウエイを使って登った。天気は良く、南方のトムラウシや十勝岳の眺めがよかった。山頂から御鉢平は見えない。鞍部に下りてもう一山登らねばならない。それに連なる野天の温泉とお花畑の広がる周回コースに気持ちが動くもののその後の日程のことを考え断念し引き返した。


 また、何かしら気持ちを山頂に残してきた気がする。
 また40年ぶりになどということはもうあり得ない。