hiroshi63のブログ

山と妄想あそび

鳥の言葉


鳥の鳴き声は実に様々だ。鳥種によって全く違うのも改めて考えると面白い。
ホーホケキョ、トッキョキョカキョク、カッコウ、ツツピー、ギョギョシギョギョシギョジギョジ、ヒンカラカラカー
他にも文字で表すには難しいものがたくさんある。


個性的なものの中には品が良いとは言えないものやうるさいとまで感じるようなものまである。カケスはあんなに綺麗な鳥なのに鳴き声を聞くとげんなりしてしまう。ホトトギスはまどろみの早朝に時としてうるさく感じる。小さくて可愛いコゲラは似合わぬ濁音で「ギイッ」とネジを巻く。(村上春樹のねじまき鳥とはコゲラのことだと勝手に解釈している) 



僕がとても綺麗な鳴き声だと感じているものにオオルリやミソサザイなど幾種かの鳥のものがある。中でも格別なのはイカルのもの。極上の澄んだ音でコーキーコーキーと聞こえてくるとその心地よさに気分が軽やかになる。色彩的に決して派手でないものの綺麗な鳥だ。しかし、あの風貌と鳴き声には少しギャップを感じてしまう。


容姿風貌と鳴き声のギャップなどというものは聞いて感じる人間のまことに勝手な感性であろう。声の持ち主にしてみれば知ったことではない。切実な行為であり発声なのだろうから。




ところで、鳥のさえずりは同じ鳥でも時々によって違うものだ。地鳴き、パートナーを求める囀り、仲間に危険を知らせる警戒音声など。


あるテレビ番組で紹介されたシジュウカラには「蛇」という特定のものを知らせる鳴き方があるという研究結果が報告されていた。蛇だけでなく鷹や食べ物などを示す特定の鳴き声もあるのだとか。

それはもう言語だと言っても良いのかも知れない。冬になるとシジュウカラ、ヤマガラ、エナガ、メジロなどの混群をよく見かけるが、何やらせわしなく鳴き交わしながら移動している。食料のありかや進路などを声かけあっているようだ。種を超えて通ずる鳥の言語もあるのかもしれない。




以前、近くの林の縁でカラスの会話を聞いたことがある。林の木越しにダミ声で交互に話していた。それは人間のおじさんそのものであった。語調からなんとなく話の類は想像できるようだった。言語は人間の専売特許ではないかもしれない。



カラスは憎らしくなるほど利口だ。いや、カラスだけではない鳥というのは総じて高い知能を有しているのかもしれない。クルミの実を道路において車に引かせて割るカラスや木の枝を使って木の穴から虫をほじくり出す鳥がいることが証拠の一例である。そうした能力に加え言語とも言えるコミュニケーション手段を持つのであるから感心せずにはいられない。



子供の頃、もし私たち哺乳類ではなく恐竜がこの世界の覇者として進化していたならどんな身体になっていたか、という想像のもとで描かれたイラストを見たことがある。爬虫類的な顔をした恐竜人間だった。それらがどんな言語を喋るのかまでの記述までは覚えていない。



鳥は今では恐竜の一部のものが生き残って進化したものであるというのは定説になっている。鳥はかつて恐竜であった。あの時見たイラストとはまるっきりに違う姿形。彼らがこの先恐竜人間になるとは流石に思えない。


だが、ふとあるイメージが浮かんで思い出し笑いをした。頭が鶏の人間の像だ。それは、かつて見た漫才コンビのネタに出てくる「鳥人」であった。
鳥人は人間の言葉をしゃべっていた。