hiroshi63のブログ

山と妄想あそび

古城山(ふるしろやま)


山頂の切り開きに立つ
北に残雪の縁取りが強調された比良連山が見渡せる
南に深皿を伏せたような十二坊山
西には近江富士の三上山が大きい
近隣の低山から遠く琵琶湖を挟んで遠望する湖西の山々まで
痩せ尾根の一角のような頂にしては格別の眺望なり


比良を眺るに
薄霞のかかった琵琶湖の上に濃い青墨の山が連なり
一際明るい青空と稜線の境は残雪の縁取りが光る
琵琶湖、比良山、空
青の三段重ねは視覚の喜びを生じる


南を眺るに
枯れた雑木の枝振りが毛細血管のように絡み合い
白い賑わいは葉をつけた森以上に賑やかで妙に生命感がある
赤みを帯びた枝先は林の表面に霞の幕を張り
萌えの準備は整いつつあるようだ
午後の陽は着衣を通してジリジリと肌を焼かんとする
淡緑のスクリーンに囲われるのはまもなくだろう


頂の北に杉林の城跡
この地に城が築かれたのはいつの事だろう
古い石垣の名残と大瓦が残る
稜線上には点在する曲輪跡
戦乱ははるか昔
信長の軍門に降る頃
城主に配下の心情はいかばかり
小国の苦心苦作の連続は民を振り回す
そんな空想を抱き頂を去った


弥生の陽の強さに戸惑いながらも外れの曲輪に寄り道
攻め入る敵を側面から叩く
なるほどの立地に感心し真砂の古道を下っていった
気まぐれな里の低山歩きは寄り道が楽しい

滑沢



道は花崗岩の沢を縫うように渡る
岩盤の表面を洗う流れは盤上を滑らかに研ぎ
曲線美が心地よいU字の水路を穿つ
流れの時はゆっくりゆったり
のどかに音楽を奏でていた


いつの間にか気づいた
急く気持ちも気負いも消えていることに
滑沢は私の中の起伏をも研いでいたようだ
ゆっくり歩けば良い
流れを楽しみながら


U字の水路はS字を描き突然途絶える
向こうには中空があるばかり
落ち口は異なる時世界への入り口だった


時が溢れる流れの出口は唐突で
吹き出す水の流れはラップのリズムのように一瞬を連射する
落ちる水は少しづつ時を減速し
一瞬一瞬の玉に砕け散る


緩やかであり急激である滑沢の時の流れ
緩急と転調の沢歩きは尾根の手前で終えた
この先は山頂までの尾根道をひたすら登るのみ
私は時を巻き足取り軽やかに頂の大岩を目指した

武奈ヶ岳


武奈ヶ岳


ある日、淡い緑が八雲が原を埋め、あちこちの枝にモリアオガエルの泡が垂れていた
ある日、山頂の空を埋め尽くさんがごとく赤とんぼが舞っていた
ある日、金糞峠をアサギマダラが飛んでいった
ある日、流れる湿原の流れにイワナを見た


その日、コヤマノ岳のブナ林は輝く霧氷の花が煌めき、風に煽られた氷片が眩しかった
その日、イブルキノコバはふかふかの雪布団をかぶりラッセルする足が喜んだ
その日、西南陵の馬の背は厳しい風紋が広がる雪原だった
その日、ワサビ峠の雪庇は気持ち良い曲線を描き青空を切り分けていた


季節ごとに幾度と訪れた愛着深い山
北比良峠で堂満岳のケルンバットの勇姿を眺め
頂上からは京都の山並みと琵琶湖を俯瞰する
中峠を越え湿原を歩いたら金糞峠の青ガレを降りよう


幾度も歩いた周遊の道
また歩いてみよう
あの頃のように


金勝山(こんぜやま)



岩を見たくなったら金勝山に登る
新緑の頃が良い
淡い緑が芽吹き始めると足が向く


天井川の土手を遡り
落が滝線の登り口から切り通しを抜け沢を遡る
水は花崗岩の一枚岩の川底を穿ち
柔らかく心地よい曲線をいく所にも描いている


滝は滝壺から見上げるもよし
落ち口から見下ろすもよし
対岸の斜面を攀じ登って眺めるもよし
岩体の水道を経た流れが唐突に噴き出し燦く


真砂で埋まった滝上の沢を過ぎると
岩盤の続きが現れる
甌穴を楽しみながら尾根に出る


大きな桃のような天狗岩を目指す
ゴリラ、シャチ、ナメクジ、硯石、バルタン星人
奇岩が点在する稜線歩きが楽しい
近江の平野の広がりある遠望にも優れ
点在する孤立丘が視覚的アクセントになる


天狗のテラスは異郷である
冥想するもよし
妄想するもよし
許す限りの時間過ごすべし


気持ちの区切りがついたなら
新たなオブジェを探しながら
先の支尾根を降りることにしよう

白山


残雪に足をとられ半日
山頂には私ひとり
広い空、大きな山の上で白いアルプスを眺めた
孤独など一切なく昂りだけがあった


盛夏の室堂にコザクラが咲き乱れ
クロユリがアクセントを作る
岩場ではオコジョも人も駆け回った
辺りは活き活きとしていた


台地の縁から見上げる秋晴れの丸い頂
澄んだ空気にナナカマドの赤い実がよく似合った
山腹の錦の衣に雲間から柱光が一筋
赤でもなく黄でもなく色濃い緑が主役であった


仮眠の後の重い身体は登山口に捨て置き
程よい汗ばみの中スキーを担いで登頂
照り返す雪面を一気に滑り降りた
ものの半時間、大腿筋の悲鳴に反し心は陶酔の域にあった


不安を超える程々の好奇心とちっぽけな冒険心
それが山を登る動力の素だったように思う
それは今も変わらず山への志向の背後に潜んでいる